『親は100%間違っている』読了〜。
独特の「長倉節」、
ちょっと読むのが抵抗ある人も
いるんじゃないかなー、、
と思いますが、、w
私は、
貪るように一気に読みました。
心に突き刺さったのは、
「なんとなく」生きていることは
「なんとなく」死んでいるのと同じ。
という訴え。
「なんとなく」。
↑
これ、
悪魔のコトバだと思います。
昨夜「なんとなく」やっちゃったこと。。
→「なんとなく」、コンビニでプリン買って帰ったww
まあ、これは小さいことですが、、(笑)
でも、
自分の意志じゃない、
小さな「なんとなく」が積み重なって、
「しなきゃいけないこと」が
押し寄せてくるから、
思考や感情を停止させて、
「なんとなく」日々をこなしていく、、、
そして「なんとなく」
同じように明日も来るような気がして眠る。。
明日が絶対来る、なんて保証はないのに、
まるでずっと生きていられるかのように、
「なんとなく」、
今日の続きみたいな明日を迎える。。
(20代後半は、こんな感じでしたw)
うぅぅっ、、
それはヤだ!
そういうのは、ヤだ!!(笑)
「なんとなく」って、
自分の本心から手を離して
感情をマヒさせて、
あきらめて生きている状態。。
それってほんとに、
「生きている」よりも
「死んでいる」に近いですよね。
意志をもって
生きていないと、
「なんとなく」は
知らないうちに侵食して増殖していくと
思います。
自分が目指していることと
程遠い日々を送っているなら、
全力で嫌がって、
抜け出そうと、もがきたいし、
失敗したり、
凹んだり、
自己嫌悪に陥ったり、
カッコ悪くても、
「何もない」よりはずっとマシ。
「何も感じない」よりは、
ずっとマシ。
1日1日、
釘を打ち付けるように、
生きていきたい、と思いました。
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こういう、いわゆる「青臭いこと」を
いい歳になってきて
あらためて
思うようになりました(笑)
時間の濃度が濃い、、というか。
1秒も無駄にしたくない、というか。
「〜させられてる」
「〜しなきゃいけない」
「しょうがないから〜している」
そういう時間を極力減らしたいと
思います。
だって、
子どもと比べたら、
圧倒的に「残りの時間」は少ないんだから!(笑)
日々、
真剣勝負。
日々、
真剣遊びw
誰を、大切にしたい?
何を、大切にしたい?
何に、情熱を注ぎたい?
誰に、何を伝えたい?
子どもに、どんな姿を覚えていてほしい?
親に、どんなことを残したい?
日々の生活が、
それらの答えになっているような、
そういう生き方をしたいなぁ。。
と、
プリンを食べながら思うわけです(笑)
なんとなくへの恐れ。死に向かって歩んでいることすら、気づいていないのが普通の人、長倉さんの悪魔の言葉は、多くの人に人に気づかせることができた。
刺さる表現は誰しもは難しいのかもしれないですけど、自分の感情を乗せてひたすらペンを進めたり、キーボードでひたすら書きまくったりすることを続けているうちにある日突然出会うことができると思うんです。
なにもしない、なにも変わらない、だったらやるしかないっしょ!
タメになる投稿ありがとうございます。
影さん。
コメントありがとうございます。
「やるしかないっしょ!」派で行きましょう!!